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代表 長谷川のブログ

失われた息子のたとえ -新約聖書 『ルカによる福音書』より -


失われた息子の譬え

【失われた息子のたとえ】

イエスは言った、「ある人に二 人の息子がいた。そこで彼らのうち年下の方が父親に言った、『お父さん、財産のうち、ぼくの分け前分を〔今〕下さい』。そこで父親は、彼らに財産を分配し てやった。すると、幾日もしないうちに、年下の息子はすべてを金銭に換えて遠い国に旅立ち、そこで堕落した生活をして自分の財産を〔ことごとく〕浪費して しまった。そこで彼がすべてを費やした時、その国を大飢饉がみまい、彼自身も困窮し始めた。そこで彼は行って、その国の住人の一人のところに身を寄せたが、この人は彼を自分の畑に送って豚を飼わしめた。そこで彼は、豚どもが食べているいなご豆で腹を満たしたいと願ったが、〔これですら〕誰も彼に与えなかった。

 

そこで彼は己に返って言った、 『ぼくの父の雇い人たちはあんなに大勢いても、パンは有り余るほどある。しかし、ぼくはここで、飢饉のために事切れようとしている。立ち上がって、ぼくの 父のところへ行こう、そして父に言おう、「お父さん、ぼくは天に対してもお父さんの面前でも罪を犯しました。もはやお父さんの息子と呼ばれるにふさわしく はありません。ぼくをお父さんの雇い人の一人のようにして下さい」。そして彼は立ち上がり、自らの父親のもとへと〔帰って〕行った。

 

さて、彼がまだ遠くにあった時、彼の父親は彼を見て、はらわたのちぎれる想いに駆られ、走って行って彼の首をかき抱き、彼に接吻(せっぷん)した。しかし、息子は父親に言った、『お父さん、ぼくは天に対してもお父さんの面前でも罪を犯しました。もはやお父さんの息子と呼ばれる にふさわしくはありません』。しかし父親は、自分の召使いたちに言った、『急いで極上の衣服を出して来て、息子に着せなさい。そして指輪を息子の指には め、足に皮ぞうりをはかせなさい。また肥えた子牛をひいて来て屠(ほふ)りなさい。そして食べて祝宴をあげようではないか。私のこの息子は死んでいたのに生き返った、失われていたのに、見つかったのだから』。こうして彼らは祝宴を始めた。

 

さて、彼の年上の息子は畑にいた。そしてやって来て家に近づくと、音楽や舞踏のさまが耳に入った。そこで召使いの1人を呼び寄せ、あれは何かと問いただした。そこで召使いは彼に言った、『あなた様の弟様がいらっしゃいました。そこであなた様のお父上は肥えた子牛を屠られたのです。達者なお姿の弟様をお迎えになられたものですから』。

 

しかし彼は怒り、中に入ろうとはしなかった。すると彼の父親が外へ出て来て、彼にねんごろに語りかけた。彼はしかし、答えてその父親に言った、『ご覧なさい、ぼくはこんなに長い年月お父さんに奴隷奉公して来たではないですか。それにお父さんの掟は何一つ破ったことがないでしょう。それなのに、ぼくには、ぼくの友だちと祝宴をあげるため に、山羊一匹だって下さったことがないではないですか。ところが、お父さんのこの〔どら〕息子が、お父さんの資産を売春婦めらと食い潰してやって来ると、 こいつのためには肥えた子牛を屠られるというわけですね』。父親はしかし、彼に言った、『子よ、お前はいつも私と共にいる。だから、私のもの一切はお前の ものだ。しかし、〔今は〕祝宴をあげ、喜ばずにはおれないではないか、このお前の弟は死んでいたのに生き返った、失われていたのに、見つかったのだ よ』」。

〔新約聖書 『ルカによる福音書』より〕

 

 

・・・涙なくしては語れない、ほんとうに大切なものとは何なのか、深く考えさせられる一節です。

 

わたしも常に愛の心・赦(ゆる)す心を忘れることなく生きて行こうと、あらためて決意した今日この頃でした。

 

合 掌

館山市・南房総市・鋸南町の葬儀会社「三和仏商(サンワコーポレーション)」

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