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代表 長谷川のブログ

カルマの夢


ヴァ―スデーヴァ①

スタッフと『カルマ』について話をしました。

 

ウチの中ではこの言葉は割とありふれたものなのですが、彼に「『カルマ』とは何か?」とあらためて聞いてみたところ、運命と同義に近い意味でしか考えていなかったことがわかりました。

 

・・・一般的には、確かにそのように思うかもしれません。

 

彼に話したことの確認として、以下に『カルマ』の概要を記します。

 

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『カルマ』・・・サンスクリット語で『行為』を意味するが、聖典によれば、カルマとは人の心に潜在化して蓄積された過去の行為印象を指す。それらのいくつかは非常な力を持っており、今の人生で自然と現象化されて、その者を動かしてゆく。

 

この強力な類のカルマはプラーラブダ〔すでに始まったもの〕と呼ばれる。

それ以外の大多数のものは、それよりも比較的力が弱く、その人がある一定の状況=俗にいう『悟り』に至るや自然と消えていく。しかしプラーラブダはそうはいかずに、肉体が滅びるまで存続しつづけるとされる。それゆえ、真のカルマからの解放は死後にしかないといえる。

 

悟りを得た後になされる行為はアーガーミ〔現れつつあるもの〕と呼ばれるが、これらはもはやその者を束縛することがない。

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・・・つまり、『カルマ』とは自身の行為及び経験によって心に刻み付けられた印象の残滓(ざんし=固定観念や固有の価値観という幻)であり、その残滓が自分自身の感情の動きや考え方に、無意識に影響を及ぼしているということになるのです。

 

このことを突き詰めていくと、以下のような疑問が浮かび上がってきます。

 

「わたしの思いは、わたしの心は、ほんとうにわたしの本質なのだろうか?」

 

「この考えは、この行為は、過去の自分の行為の結果や経験による反射・反動・反映に過ぎないのではないだろうか?」

 

「わたしはほんとうに〝真実〟を観ているのだろうか?」

(わたしのポリシーのひとつは『根拠なく疑ってよいのは自分自身だけである』です)

 

・・・もしかしたら、わたしたちは覚醒しているときにも『カルマによる夢』を見続けているのかもしれない、そんなふうに考えてしまう自分がいます。

 

とりとめのないお話になってしまいましたが、最後にカルマについて考察していくとたどり着く結論を書いて終わりたいと思います。

 

「実に人間というものは、かならず行為の結果を刈り取らなくてはならない定めにある生き物である」

 合 掌

館山市・南房総市・鋸南町の葬儀会社「三和仏商(サンワコーポレーション)」

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