結果に執着せず、義務を果たすことだけを考える
われわれは何をなすべきか、またそれをいかになすかについて、決して無頓着であってはならな い。いや、むしろわれわれはすべての勤勉と才能とを真剣に活用しなくてはならない。ただし、野心や所有欲からではなくて、義務感と神への愛から、それをし なければならない。そして、事の成否は、神に委ねるべきである。
そうすれば、何も吹聴などしなくても、万事がうまくはかどる。それでもなお犯す外的失敗でさえ、われわれに有益なものに変わる。もしこのことが信じられないなら、自分でためしてみるがよい。
どんな人の生活でも、たとえ預言者や使徒の場合でも、時おり、深い意気消沈におそわれずにはすまない。
「主よ、今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」
(列王記 上19-4)
これは、きっとだれでもその生涯の暗い時に口にしてきた言葉である。このような無気力がどこ から来るのか、われわれは多くの場合それを知らない。けれども、これに屈服してはならないことだけは、いつも知っている。この世に神の国を築くための戦い において降伏する者は、〝つねに〟裏切り者である。あなたの義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この 方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。
〔カール・ヒルティ 『眠られぬ夜のために』より〕
仕事において大切なことは、常に自身のなすべきことや役割を認識し、それを義務であると考え、結果に執着せずに全力で取り組むことであるとわたしは信じています。
振り返ってみれば、わたしはいままで、余計なことを考えて集中できなかった時に失敗したことが多かったように思えます。
そして、悲観的であった時も同様に。
いかに将来を心配しようと、いずれにしろ〝その時〟は来てしまうものです。
心配しているだけでは変わることなど何もありません。未来をよりよいものに変える努力をしなければ、心配し、懸念していることは現実としてやってきてしまうのです。
たとえ心配していることが現実になる公算が大きかったとしても、できることはすべてやり尽くし、後は天にすべてを任せる・・・悲観的な状況に陥った時でも前向きになれる選択肢は、最終的に、おそらくこれしかないのではないでしょうか。
それに、わたしの経験から言うならば、わたしがいままで想定した〝最悪の状況〟が実現したことは一度もありませんでした。
「やるべきことさえしっかりとやっていれば、最悪の状況などそうそうやってくるものではない」
家業を継いで14年・・・心からそう実感しています。
これからもこの一節の教えを胸に、労を惜しまず自身の義務を果たしてゆこうとあらためて決意した今日この頃でした。
合 掌