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代表 長谷川のブログ

和睦のすすめ


イエスと聖心

【和睦のすすめ】

また、あなたたちはなぜ、正し いことを自分自身で判断しないのか。たとえば、あなたがあなたを訴える者と役人のもとに行くとき、その途上にあるうちに、その訴える者から解放されるよう に努力せよ。そうしなければ、彼はあなたを裁判官のところへ力ずくで引っ張って行き、裁判官はあなたを獄吏(ごくり)に引き渡し、獄吏はあなたを獄へ投げ入れてしまうだろう。わたしはあなたに言う、あなたは決してそこから出て来ることはないだろう、最後の一レプトン(※)をも払い切るまでは。

〔新約聖書 『ルカによる福音書』より〕

 

※レプトン・・・ギリシア通貨の最少額

 

わたしは自身の経験上、謝罪して和睦するべき状況でそれを渋ったとき、いい目を見たことが一度もありません。

 

よってわたしは、わたしの非を追求されたときにはできるだけ早く謝って、できるだけ良い形で和解することを目指すよう心がけています。

(もちろん、そうしない方がよい状況になると考えられる場合は別ですが、そういう場合は稀です)

 

・・・わたし達日本人の多くは〝ありがとう〟と〝ごめんなさい〟がしっかり言えることを美徳であると教育されています。

 

そして、

 

「〝ありがとう〟と〝ごめんなさい〟がしっかり言えない人は、割と高めの確率で最低評価をされるのが世間様の習わしであること」

 

は、もはや言うまでもないことでしょう。

 

そこでわたしは思うのです。

 

「これらのことを総合して考えると、なぜ謝ることをためらう必要があるのだろうか?」

 

とね。

 

たとえば自身の仕事にクレームが発生したとしましょう。それが誤解によるものであったとしても、冷静に謝った場合とそうしない場合の結果を比較すると、前者の方がより良い結果になることの方が多いと思います。

 

・・・この場合における大切なことは、よりよい結果・より良い未来を追求することであって、ただの幻に過ぎない、何の価値もない〝勝ち負け意識〟や〝何のプラスにもならない自尊心〟ではないとわたしは考えます。

この『和睦のすすめ』を読むと、

 

「幻に縛られて謝罪するのを渋っていると事態をいたずらに悪化させてしまうだけですよ。だからさっさと謝って和睦してしまいなさい」

 

と、イエス様に言われているような気がします。

 

今後も感謝と謝罪ができない大人と言われないようしっかりと精進していかねばならないなと、あらためて考えさせられた今日この頃でした。

 

 

合 掌

館山市・南房総市・鋸南町の葬儀会社「三和仏商(サンワコーポレーション)」

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